城西大を導く櫛部静二監督の現在と指導法|早大の伝説から躍進の秘密まで
大学駅伝界に「科学の風」を吹き込み、城西大学男子駅伝部を箱根駅伝の上位常連・トップ集団へと押し上げた名将・櫛部静二監督。かつて早稲田大学の黄金期を牽引した伝説のランナーであり、日本長距離界のトップを走り抜けたトップアスリートが、いまや運動生理学者として大学教授を務めながら、独自の理論で次々と快挙を成し遂げています。
根性論が長く支配してきた長距離走の世界において、なぜ彼のチームだけが着実に結果を出し続け、劇的な進化を遂げられたのか。選手時代の栄光と残酷な挫折、エスビー食品での現役生活を経て大学院で培った研究成果、そして2026年現在の指導現場で見せる独自の育成哲学まで、その全貌を徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:櫛部静二監督は2026年現在も城西大学男子駅伝部を率い、同大経営学部教授として最先端の運動生理学を直接指導に還元している。
- 要点2:早稲田大学時代に「三羽烏」として一世を風靡しつつも経験した箱根2区の途中棄権という挫折が、科学的データ重視の指導法の原点となった。
- 要点3:低酸素トレーニングや乳酸値測定を駆使した個別最適化アプローチにより、選手の潜在能力を故障なく引き出す育成モデルを確立した。
【2026年最新】城西大学を強豪へ導いた櫛部静二監督の現在とプロフィール
城西大学男子駅伝部を率いて目覚ましい成果を挙げ続けている櫛部静二(くしべ・せいじ)監督は、1971年11月11日生まれ、山口県宇部市出身の54歳です。駅伝ファンのみならず、現代スポーツ界全体から注目を集める理由は、彼が単なる「元名選手上がりの指導者」にとどまらず、城西大学経営学部の現役教授であり、日本陸上界でも稀有な運動生理学者という肩書きを併せ持っている点にあります。
公的データや大学の教員情報が示すとおり、櫛部監督は選手指導の現場に立ちながら、大学教授として教壇に立ち、専門の研究論文を数多く発表しています。現場の指揮官とアカデミックな研究者の双方をトップレベルで両立させるその姿は、2026年現在の大学スポーツ界におけるひとつの到達点といえます。
宇部鴻城高校時代に3000m障害で当時の高校新記録を樹立してインターハイを制覇し、早稲田大学、エスビー食品で活躍。トラックや駅伝だけでなく、男子1時間走において20,410mという大記録を打ち立て、四半世紀以上を経た今もなお1時間走の日本記録保持者としてその名を刻んでいます。
現在も自身の公式noteや各種メディアを通じて、日々のトレーニング理論や指導の現場感を惜しみなく発信。「世界で戦えるランナーの育成」を標榜し、単なる大学駅伝のタイトル獲得にとどまらない長期的視野を持ったアプローチを続けています。

早稲田大学黄金期からエスビー食品へ|栄光と「2区の悲劇」の真実
櫛部監督を語るうえで避けて通れないのが、早稲田大学競走部時代に巻き起こした社会現象と、箱根路で直面した過酷なドラマです。1990年代初頭、同期の武井隆次氏、花田勝彦氏(現・早大監督)とともに「早稲田三羽烏」と称され、大学駅伝界のスターダムを駆け上がりました。
1年時の第67回箱根駅伝では、1区で鮮烈な区間新記録を樹立。3年時の第69回大会では、早稲田大学の総合優勝に大きく貢献するなど、華々しい戦績を残しています。しかし、その輝かしいキャリアの裏には、今も駅伝史に語り継がれる壮絶な挫折が刻まれていました。
主将として挑んだ大学4年時の第72回箱根駅伝(1996年)、エース区間である「花の2区」に出走した櫛部選手を悲劇が襲いました。権太坂を越えたあたりから極度の脱水症状と低血糖に見舞われ、足が痙攣。蛇行しながら意識朦朧の状態で走り続けたものの、戸塚中継所の手前、残り数百メートルの地点で無念の途中棄権(タスキ途絶)を余儀なくされたのです。
当時の報道や本人の述懐によれば、責任感から極度のプレッシャーを背負い込み、直前の体調管理や水分補給の調整に狂いが生じていたといいます。ゴールを目の前にしてアスファルトに倒れ込んだこの経験こそが、「なぜ身体は限界を迎えたのか」「気合いや根性だけでは防げない生理学的限界とは何か」という学問的探求への決定的な引き金となりました。
大学卒業後は実業団の名門・エスビー食品へ進み、瀬古利彦氏の薫陶を受けながら国内外のレースで実績を積み上げました。その後、現役生活を退くと同時に日本体育大学大学院へと進学し、運動生理学の修士課程・博士課程で身体のメカニズムを本格的に研究。過去の自身の失敗を生理学的なデータとして徹底的に解剖したことが、指導者・櫛部静二の土台を築き上げました。
城西大学男子駅伝部が躍進した決定的理由|低酸素トレーニングと科学的指導
城西大学男子駅伝部が箱根駅伝で総合3位に輝くなど、名だたる伝統校を脅かす強豪へと変貌を遂げた背景には、櫛部監督が持ち込んだ徹底的な科学的アプローチがあります。従来の長距離界に根強く残っていた「走った距離こそが正義」という走行距離至上主義からの脱却です。
躍進を支えた最大の中核要素が、大学施設内に設置された低酸素トレーニング室の積極的活用です。標高2000〜3000メートル相当の環境を人工的に再現し、常圧低酸素環境下でトレッドミル走を行うことで、関節や筋肉に過度な衝撃を与えることなく心肺機能と酸素運搬能力を劇的に向上させる手法を確立しました。
低酸素環境でのトレーニングにより、選手たちは月間走行距離を闇雲に伸ばすことなく、高効率でヘモグロビン濃度や毛細血管密度を高めることが可能になりました。これが故障者の劇的な減少と、年間を通じたコンディショニングの安定化に直結しています。
さらに現場では、練習前後の血中乳酸値測定を日常的に実施。LT値(乳酸性作業閾値)を厳密に把握することで、「各選手がどのペースで走れば最も有酸素能力が向上するか」を数値で可視化しています。感覚に頼らないパーソナライズされた練習強度の設定が、5区山登りで驚異的な区間記録を叩き出した山本唯翔選手をはじめとする、数々の逸材を覚醒させる原動力となりました。

データ比較で見る櫛部理論の革新性|従来型指導との決定的な違い
櫛部監督の指導法がどれほど従来の駅伝指導と一線を画しているのか、客観的な比較データを通じてその構造を整理します。
| 項目 | 櫛部メソッド(城西大学) | 従来の伝統的指導法 | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| トレーニング負荷管理 | 血中乳酸値・心拍変動の常時モニタリングによる個別設定 | 監督・コーチの目視、選手の主観的感覚、一律の集団走 | オーバートレーニング症候群の未然防止に極めて有効 |
| 月間走行距離の考え方 | 質と生理学的負荷を優先(低酸素室併用で距離を抑制) | 月間800〜1,000km以上の走行を美徳とする量重視 | 疲労骨折や腱炎のリスクを激減させ、稼働率を維持 |
| 高所・環境適応 | 大学施設内の常圧低酸素室で通年コントロール | 夏季合宿など特定の時期の高地合宿(菅平・御嶽など) | コストを抑えつつ年間を通じた生理的適応を維持 |
| 選手の心理的距離感 | 研究者と被験者、自立したアスリートとしての対等な関係 | 絶対的な師弟関係、管理型の寮生活と行動統制 | 内発的動機づけを高め、引退後の自立性も育む |
家族構成と息子の噂|私生活や人柄に見る「人間・櫛部静二」の素顔
科学者然とした知的な佇まいから、ネット上では「プライベートが見えない」「冷徹な職人肌なのではないか」といった声も散見されます。しかし、身近な関係者や陸上関係者の証言からは、極めて温厚で家族想いな素顔が浮かび上がってきます。
家族構成に関しては一般人であるため詳細な個人情報は公表されていませんが、家庭を大切にする父親としての顔を持っています。長男をはじめとする子供たちの進路や陸上競技への関わりについてもファンの間でたびたび話題にのぼりますが、自身の陸上哲学を家庭内で押し付けるような姿勢は一切見られません。
この「過剰な期待を押し付けず、個人の意思と自立を尊重する」スタンスは、家庭生活だけでなく駅伝部の寮生活や選手との対話にも完全に共通しています。選手を私物化せず、一人の自立した人間として接する姿勢が、選手たちからの深い信頼に結びついています。

一般に知られていない盲点とネットの誤解|「科学一辺倒」という評判の真相
メディアで「低酸素」「乳酸値測定」「バイオメカニクス」といった言葉が先行した結果、一部のSNSや掲示板では「櫛部監督は選手を実験台のように扱っているのではないか」「数字ばかりで選手の気持ちを無視しているのではないか」という穿った見方がなされることがあります。しかし、現場の実態はまったく逆です。
櫛部監督が科学的データを重視する最大の理由は、「選手に自分と同じような理不尽な怪我や挫折を味わわせたくない」という強い情熱にあります。客観的な数字があるからこそ、「今日は調子が悪そうだから無理をさせない」「本人は走れると言っているが、数値が警告を発しているから休ませる」という、選手を守るためのブレーキを踏むことができるのです。
【プロの結論】スポーツ組織論・心理学的視点から見る現代型リーダーシップの極意
昭和・平成のスポーツ界に深く根付いていた「指導者への絶対服従」や「痛みを我慢することが美徳」という価値観は、心理学的に見れば指導者と選手の間に生じる不健全な共依存関係そのものでした。選手は監督の顔色をうかがってオーバートレーニングに陥り、故障すれば自己責任として切り捨てられるリスクを抱えていたのです。
櫛部監督が実践しているのは、明確な客観指標を共有することで感情的な支配を排除する「心理的バウンダリー(境界線)」の確立です。科学的データという客観的事実を間に挟むことで、選手と指導者が「対等なパートナー」として同じ課題に向き合う関係性を構築しています。
この指導スタイルは、現代の若者気質に合致するだけでなく、企業の組織マネジメントや教育現場においても極めて有益な示唆を与えています。「数字で守り、対話で導く」という櫛部流リーダーシップこそが、城西大学が長期的な強さを維持できている本質的な勝因といえます。
【櫛部静二】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:櫛部静二監督の現在の年齢と役職を教えてください。
A1:1971年11月11日生まれで、2026年現在の年齢は54歳です。城西大学経営学部教授を務めながら、同大学男子駅伝部の監督としてチームの指揮を執っています。
Q2:早稲田大学時代の箱根駅伝2区での途中棄権はどのような理由でしたか?
A2:大学4年時の第72回大会(1996年)、主将として2区を走った際に極度の脱水症状と低血糖、脚の痙攣を起こし、戸塚中継所の手前で無念の途中棄権となりました。この挫折のメカニズムを解明したいという思いが、その後の大学院進学と運動生理学研究への転換点となりました。
Q3:城西大学が箱根駅伝で急激に強くなった最大の要因は何ですか?
A3:大学内に設置された「常圧低酸素トレーニング室」の活用と、日々の血中乳酸値測定による科学的アプローチです。関節への負担を抑えつつ心肺機能を強化し、オーバートレーニングを防いで故障者を激減させたことが飛躍の決定打となりました。
Q4:櫛部監督の研究論文や著書にはどのようなテーマが多いですか?
A4:主に運動生理学、乳酸性作業閾値(LT)、低酸素環境下における持久的運動能力の変化、トレーニング中のエネルギー消費量評価などをテーマにした専門論文を多数執筆しています。学問的な知見がそのまま駅伝部の現場で実践されています。
まとめ:名将・櫛部静二が切り拓く大学駅伝の未来と成功の判断基準
選手としての栄光と痛恨の挫折、実業団での研鑽、そして大学院での研究と教授就任――。櫛部静二監督が歩んできた道のりは、日本の長距離走界におけるパラダイムシフトそのものです。
城西大学の躍進が証明したのは、根性論に頼らずとも、緻密な科学と選手への深い敬意があれば、伝統校に打ち勝つ強豪チームを育て上げられるという事実でした。2026年現在も進化を止めないその指導理論は、大学駅伝の枠を超えて、日本スポーツ界全体が学ぶべき確固たるモデルケースとして輝き続けています。 (出典: 櫛部 静 二(Yahoo!ニュース))